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湯谷神社
(ユタニ)
御祭神
大己貴命 水門神 保食神
御神紋
左三ツ巴 六つ槌
御由緒
創祀年代は不詳である。古来六所権現と称したが、明治以後地名に因み、湯谷神社と改称した。上古出雲国人が諸国を巡ってこの地に至り、里人に池を掘らせると、霊泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を小谷の岩上に奉斎した。温泉は万病に効くと伝えられ、崇敬者が多く、後に水門神、保食神を合祀したと伝えられている。輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉あり諸病を治す。或日葦毛の子を此の湯坪に洗いしより此の湯かるゝ」とある。後白河上皇の御代、日吉の社領となって、当社を山王権現社とも称せられた。今井備中守秀遠は、箕浦庄の地頭職として、当地を治めた故、当社を守護神と崇め、その一族米原氏も社殿を修理し、社領を献じた。文明3年米原山太尾城に激戦があり、当社は焼失したが、天文13年今井氏は、米原氏をして再興せしめ、大山咋命を勧請した。文禄4年岩脇氏は、社殿を修復し神門を寄進した。享保17年彦根藩主井伊直惟は社殿を再興し、手水鉢、木造狛犬を献じ、明治22年には、三条実美が社号額を寄せている。又境内には明治11年明治天皇北陸巡幸の際小休止された北村邸の行在所がある。大正7年村社に列し、同年神饌幣帛料供進指定となる。
本殿・境内建物
〔本殿〕3間社流造軒唐破風付 間口1間2尺 奥行1間2尺
〔拝殿〕入母屋造 間口3間 奥行3間
〔拝殿〕入母屋造 間口3間 奥行3間
境内社(摂社・末社)
前光稲荷神社 六所神社 牛頭天王社 金刀比羅神社 春川稲荷神社
主な祭礼
米原の曳山まつりは湯谷神社の祭礼日に長浜のの曳き山を見習って、江戸時代の後半期に始まったと伝えられている。「近江坂田郡誌」によると「明和7年、三輌の曳山を造り、祭日には児童をして狂言を演ぜしむ」とある。 曳山には、北町の旭山組、中町の松翁山、南町の寿山の三つの組に分かれ、各山組とも主にまつりの担い手は若い衆が勤め、相談役として世話方(若い衆を卒業した人)がいる。歌舞伎の役者は小学1年〜6年の男子が演ずる。 行事は、宵宮を10月体育の日の前々日の土曜日に、本楽を前日の日曜日に、後宴を体育の日に行っている。
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
10月
米原曳山まつり
第2日曜
5月 11日
〔兼務社|米原支部〕