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萱野神社
(カヤノ)
〜(九帝王宮 萱野神社)
御祭神
開化天皇
御神紋
蓑亀(みのがめ)
御由緒
彦坐王命の第四世に当る治田連が、淡海の国造としてこの地に居住し、専ら栗太一円の墾田開拓の事に当り、土地の開発と人民の生息の基を開き、雄略天皇六年治田一族の遠祖となる開化天皇の神霊を斎祀つたのが創祀とされる。その後祭神開化天皇、彦坐王命(開化天皇皇子)観松姫命(開化天皇皇女)武豊葦判別命(開化天皇皇子)大筒城真稚王命(彦坐王命皇子)の五柱を祀ってあったが、明治維新に際し開化天皇一柱を祀ったのである。社号も古来、九帝王宮、または九帝王神社と称せられたが明治二年に萱野神社と改められた。
御神紋「蓑亀」の由来は、和銅八年天下旱魃にて作物成長せず、農民皆雨乞祈願をした。その時、里の山中の洞穴より霊亀這い出して大雨沛然と降り作物は蘇生した。この亀は左目白く首赤く背三に分れ、七星の紋ありという、亀のいでたる所を大亀川又は老上川、現在は狼川という。
当神社は古来より広域に亘る氏子を始め各時代の武将及び代々の膳所城主の崇敬も篤く、境内地一町四方と高五石五反歩の寄進があった。境内地は壱町四方のうっそうとした森林の神域であったが明治二十一年国鉄東海道本線の設置により境内地を二分に斜断されて参道も半分となり社殿その他の建物を移築した。さらに昭和四十四年に国鉄復々線の増設と瀬田駅の新設に伴ない末社及び神輿庫などを移築したので益々狭い境内地となり対面の森林も駅前広場となって全く昔の面影を失ってしまった。
御神紋「蓑亀」の由来は、和銅八年天下旱魃にて作物成長せず、農民皆雨乞祈願をした。その時、里の山中の洞穴より霊亀這い出して大雨沛然と降り作物は蘇生した。この亀は左目白く首赤く背三に分れ、七星の紋ありという、亀のいでたる所を大亀川又は老上川、現在は狼川という。
当神社は古来より広域に亘る氏子を始め各時代の武将及び代々の膳所城主の崇敬も篤く、境内地一町四方と高五石五反歩の寄進があった。境内地は壱町四方のうっそうとした森林の神域であったが明治二十一年国鉄東海道本線の設置により境内地を二分に斜断されて参道も半分となり社殿その他の建物を移築した。さらに昭和四十四年に国鉄復々線の増設と瀬田駅の新設に伴ない末社及び神輿庫などを移築したので益々狭い境内地となり対面の森林も駅前広場となって全く昔の面影を失ってしまった。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口一間三尺 奥行一間
〔拝殿〕切妻造 間口三間 奥行三間
〔その他〕
〔拝殿〕切妻造 間口三間 奥行三間
〔その他〕
境内社(摂社・末社)
市杵島姫神社 西浦神社 天満宮 水天宮 金刀比羅神社 稲荷神社 大将軍神社 (境外) 藤ヶ森神社 東浦神社 西浦神社 貴船神社 大山祗神社
主な祭礼
元服式(一月十五日) 米寿奉告式(一月十五日) 還暦者奉告式(一月一日) 厄除け祈願職、書初め奉納奉告式(一月二日)、 献燈祭(九月第一日曜日)、御火焚祭
(十二月第一日曜日)
(十二月第一日曜日)
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
5日
1月 1日
〔兼務社|大津支部〕