郵便番号 | 〒 5290526 |
鎮座地 | 滋賀県長浜市余呉町国安52 |
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草岡神社
(クサオカ)
御祭神
高皇産霊神 神皇産霊神 彦坐王命 菅原道真公
御神紋
梅鉢
御由緒
往昔当地方は荒野多く、枯茅蓬々として狐狸幽禽の棲息する荒寥の地であった。僅かに住む農民が山麓に1祠堂を建立し、高皇産霊神、神皇霊神を勧請し奉斎した。その時山を「ムスビ山」と唱え、草岡天神と奉称した。第9代開化天皇の第3皇子、彦坐王当地に降臨し給い、余呉の庄の開発並びに郷民を愛撫し、産殖に治水事業に努められた。余呉の庄とは、合併前の片岡、余呉の地域を上の郷、中の郷、下の郷と分括されて上の郷片岡天神とよんでいた。御在世中に御子にあたる崇神天応が行幸されている。故実に彦坐王命国安姫命を入輿し給い、その皇子廉彦王命は池原姫を娶り給い、その又皇子、彦理王命は夜叉池村より伊加津女命を入輿し給いしとあり、この間300年以上で草岡郷の太租なり。彦坐王命薨後は恩鴻後は恩鴻を敬慕し、本社に霊を祀る。下余呉地先に鳥居ありて遠方より遙拝するためであった。仲哀天皇角鹿(今の敦賀)浦に行幸の砌、当社に参拝さられ、この時の武内宿弥言上し、北国街道の当社正面にあたる所、今の今市郷に三畝歩の地を賜り、一般通行人の遙拝所と定め、木造の鳥居を建立された。ところがこの鳥居古びて寛成8年石の鳥居に改造さえている。京都北野天満宮に菅公が祀られるや、当社天暦10年勧請し相殿に御鎮座申上げる。旧金沢藩主前田利家公は、菅公の末裔なるをもって、北国街道進行の砌は必らず参拝し、神饌料を供えられたという。時移りて社名の呼び方も変っていったが、明治3年旧領主上総国飯野藩士校格を改査し、従来の称号通り「草岡神社」と命名された天正11年賤岳の兵火で社殿宝物等を焼失する。明治9年村社となり明治17年郷社に昇格する。式内伊香郡46座の1。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造千鳥唐破風付 間口一間 奥行一間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行三間
境内社(摂社・末社)
金刀比羅宮 秋葉神社 稲荷神社 毘沙門宮
主な祭礼
おこない 正月1、2、3日 野神祭 8月25日
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
3月
25日
〔兼務社|伊香支部〕