郵便番号 | 〒 5220003 |
鎮座地 | 滋賀県彦根市宮田町120 |
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山田神社
(ヤマダ)
御祭神
猿田彦大神 譽田別尊 三女神(多紀理毘賣命 市杵嶋比賣命 多岐都比賣命)
御神紋
左頭三ツ巴
御由緒
社伝によると、考安天皇の御宇、猿田彦大神の神霊を始めて此地に降臨ありて神籬を造り之を斎き祀る。これを当社の濫觴としている。次に皇極天皇の朝に、息長山田公あり坂田郡に縁由ある人なれば山田氏の族其祖先の誉田別尊及び三女神を従来祀る所の猿田彦の大神に配祀し山田神社と称した。本社の起源としている。延暦二十年坂上田村麿が東征の途次本社に戦勝を祈願し、凱旋の後、社殿を建立し、神戸を定め、祭祀料稲五千束を納め、四時祭典を行なわしむ。また、正安の頃には、三神主八別当をの甍を並ぶ。永禄二年十二基の神輿を造り小野荘内各村より祭典を行う。其の後数回の兵乱に遭い今は僅かに其の一基を残している。
延喜式神名帳の坂田郡五座の内に記載されている神社である。社格加列年月日は、明治九年に村社に、明治十四年十二月二日に郷社に、大正四年五月五日に県社となる。明治二十六年三月に内務省より古社保存金一百円を下賜せらる。大正四年十一月三日神饌幣帛料供進指定。昭和十六年十月本殿、拝殿、透塀、渡廊等の造営竣工。昭和四十三年十一月本殿、拝殿、透塀等々、銅板葺替竣工。昭和四十七年十一月社務所竣工。『近江国坂田郡志』滋賀県教育課編『神社由緒記』『式内社調査報告東山道I』
延喜式神名帳の坂田郡五座の内に記載されている神社である。社格加列年月日は、明治九年に村社に、明治十四年十二月二日に郷社に、大正四年五月五日に県社となる。明治二十六年三月に内務省より古社保存金一百円を下賜せらる。大正四年十一月三日神饌幣帛料供進指定。昭和十六年十月本殿、拝殿、透塀、渡廊等の造営竣工。昭和四十三年十一月本殿、拝殿、透塀等々、銅板葺替竣工。昭和四十七年十一月社務所竣工。『近江国坂田郡志』滋賀県教育課編『神社由緒記』『式内社調査報告東山道I』
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口二間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造正面唐破風付 間口四間 奥行三間
〔その他〕中門 渡廊 神饌所 手水舎 神庫二棟 社務所
〔拝殿〕入母屋造正面唐破風付 間口四間 奥行三間
〔その他〕中門 渡廊 神饌所 手水舎 神庫二棟 社務所
境内社(摂社・末社)
仲哀神社 皇后神社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
3日
榊神事
江戸時代の『淡海落穂草』に記載されている神事。現在は多少の変動はあるが、神童(稚児)が大振麻・大幣・小幣・榊等の幣類をもつて渡御する。これは神籬をすべての神童に持たせた神籬神事であったと思われる。榊が多く必要なので、いつの時代にか、幣串に変化したものと思われる。
〔本務社|彦根支部〕