郵便番号 | 〒 5260001 |
鎮座地 | 滋賀県長浜市国友町488 |
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日吉神社
(ヒヨシ)
御祭神
大山咋神 香山戸命 羽山戸命
御神紋
三ツ巴
御由緒
本神社草創の年代不詳であるが、社蔵の古文書によれば寛和以前の古社と伝えられる。国友郷は平安朝時代より延暦寺領となり、日吉上七社の一つである十禅師社を奉祀した。皇族、武将の崇敬篤く、応永十八年妙法院宮二品堯仁親王の願により、僧玄全が大般若経六百巻を手写して当社に奉納。これより先に、足利義詮この地を近江守護京極氏に賞与して以来、京極氏の崇敬特に篤く、六世孫大膳太夫持清は神田一町ニ反余を寄進し、その臣今井備中守遠俊も毎年供米二石を寄進したとある。天正二年領主羽柴秀吉も旧社領十石の領有を認めている。また国友は将軍足利義晴が鉄砲を製作させて以来鉄砲ゆかりの地であるが、特に徳川氏が江戸幕府を開いて以後、鉄砲鍛治は製砲に忙殺されたため、幕府は社領保護供進のこともあって全村の課役を免じている。この頃諸国大名の往来もはげしく村内は繁華を極め、社頭ますます隆盛となった。文政十一年領主松平甲斐守保興は当社に金銅灯籠一対を奉献。元文五年後西院天皇の皇女宝鏡寺宮理豊内親王は、社号十禅師権現の額字を下賜され、光格天皇の侍医三角有裕は嘉永五年石灯籠一対を寄進している。明治二年日吉神社と改称し、同九年村社に列する。同十一年山階宮二品晃親王より社号の額字御染筆を賜わり、これを華表に掲げている。大正七年郷社に列する。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口二間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺
境内社(摂社・末社)
大神神社 琴平神社 伊都岐島神社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月
5日
1月 1日
〔本務社|長浜支部〕