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印岐志呂神社
(イキシロ)
御祭神
大己貴命
〔配祀神〕国常立尊
〔配祀神〕国常立尊
御神紋
左三ツ巴
御由緒
創祀年代不詳であるが、天智天皇の勅願により大和国三輪大社から分祀されたと社伝にある。延喜式神明帳栗太八座の一で、用明天王即位二年夏悠紀地方に定められ印岐志呂と名付けられたことをもって社名にしたと伝えられる。
社伝に仁寿元年神位正六位に、また元慶元年正一位を授けられたとある。
永暦年中源義朝尾州攻略のとき頼朝の武運を祈願し、建久元年に頼朝この報賽のため神殿と神田を寄進された。建武三年正月比叡山僧宥覚が山門一千余を率いて足利軍高師直と戦った時、更に同年九月脇屋義助が延暦寺の山徒と共に尊氏の将京極道誉と戦って戦場となり社殿は勝亡したが、後足利氏によって再建された。
社殿棟札によると織田信長が佐々木攻めの時再び戦場となり社殿炎上したが、慶長四年に芦浦の観音寺詮舜が再建している。その後観音寺長賢も社殿を修理し、寛永六年社殿を再建した。今の社殿は寛政四年観音寺慈観が造営したものである。
明治九年郷社に列し、大正六年県社となる。
同七年神饌幣帛料供進指定。
社伝に仁寿元年神位正六位に、また元慶元年正一位を授けられたとある。
永暦年中源義朝尾州攻略のとき頼朝の武運を祈願し、建久元年に頼朝この報賽のため神殿と神田を寄進された。建武三年正月比叡山僧宥覚が山門一千余を率いて足利軍高師直と戦った時、更に同年九月脇屋義助が延暦寺の山徒と共に尊氏の将京極道誉と戦って戦場となり社殿は勝亡したが、後足利氏によって再建された。
社殿棟札によると織田信長が佐々木攻めの時再び戦場となり社殿炎上したが、慶長四年に芦浦の観音寺詮舜が再建している。その後観音寺長賢も社殿を修理し、寛永六年社殿を再建した。今の社殿は寛政四年観音寺慈観が造営したものである。
明治九年郷社に列し、大正六年県社となる。
同七年神饌幣帛料供進指定。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造一間向拝付 間口二間 奥行二間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口七間 奥行三間五尺
〔拝殿〕入母屋造 間口七間 奥行三間五尺
境内社(摂社・末社)
二ノ宮神社 三ノ宮神社 樹下神社 若宮神社 稲荷神社 恵比須神社 奥御前神社 (飛地境内) 小安羅神社 日吉神社 大将軍神社 安羅神社 八幡宮 樹下神社 春日神社 大将軍神社 若宮神社 天満宮 天満神社 天満神社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
3日
〔本務社|草津・栗東支部〕