郵便番号 | 〒 5250005 |
鎮座地 | 滋賀県草津市志那町309 |
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三大神社
(サンダイ)
御祭神
志那津彦命 志那津姫命 大宅公主命
御神紋
竹に二羽の雀
御由緒
条里集落の遺構地吉田の里の中心、二十六坪小字伊吹の里に鎮座する。条理性に関係深い天智天皇の勅を受け大中臣金連が天智四年風神の二柱を祀った式内伊富伎神社がこれである。
その後応徳年間に穴太包光が大宅公主を合祀したと伝えられ、祭神が三神となったため邑人等三体神権現と称するようになり、伊富伎神社の称が消埋した。後に三大権現と称して支那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初年に三大神社と改称し各郷で例祭を行うようになった。
社殿については中世破損したため吉田大欲助穴太包元等是を修繕した、また江戸初期承応年間に芦浦観音寺舜貞法人によって再建され、以来三百有余年社殿老朽に耐えず依って明治九年浄財を集めて再建した。昭和五十五年屋根を銅板に葺替える。
尚詳しい由緒については永徳二年権律師法橋上人位実春に誌るされている。但式内意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
境内の藤棚は開花期遠近の観客で賑う。
明治九年村社に加列。明治四十一年神饌幣帛料供進指定。
その後応徳年間に穴太包光が大宅公主を合祀したと伝えられ、祭神が三神となったため邑人等三体神権現と称するようになり、伊富伎神社の称が消埋した。後に三大権現と称して支那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初年に三大神社と改称し各郷で例祭を行うようになった。
社殿については中世破損したため吉田大欲助穴太包元等是を修繕した、また江戸初期承応年間に芦浦観音寺舜貞法人によって再建され、以来三百有余年社殿老朽に耐えず依って明治九年浄財を集めて再建した。昭和五十五年屋根を銅板に葺替える。
尚詳しい由緒については永徳二年権律師法橋上人位実春に誌るされている。但式内意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
境内の藤棚は開花期遠近の観客で賑う。
明治九年村社に加列。明治四十一年神饌幣帛料供進指定。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口四間 奥行四間
〔拝殿〕入母屋造 間口四間 奥行四間
境内社(摂社・末社)
若宮神社 蛭子神社
史跡・名勝
藤保存会
090−6247−2240
090−6247−2240
主な祭礼
さんやれ踊り 氏神講
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
3日
1月 1日
〔兼務社|草津・栗東支部〕