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惣社神社
(ソウシャ)
御祭神
志那津彦命 志那津姫命
〔配祀神〕猿田彦命
〔配祀神〕猿田彦命
御神紋
五枚笹 鳥居(島木造)
御由緒
創祀年代不詳であるが、社記に天智天皇四年右大臣中臣金連勅を奉じて風神を鎮祭し意布伎神と尊崇したに創まるという。古来意布岐総社、総社大明神惣社神社等と称号し、志那三郷の惣氏神である。また北志那大般若寺の鎮守の神として崇められ、同寺の文書等にも当社が延喜式内栗太郡八座の一意布岐神社たるの所伝少くない。
尚式内社意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
古来志那浜は湖西湖東地方との交通の要港で、この為湖上の往復頻数は風神の崇敬を益々盛んとした。今に斎行の風神踊は風招と呼ぶ大団扇を持って三奏の神歌とともに天を仰いで行う神事で、その三日前に斎行の「たんもり」(祭壇盛)も琵琶湖の八尋の沖より砂一艘取寄せて本社三盛、御旅所(神宮寺跡)一盛の造形を行う重儀で、その俤を残している。昭和十三年郷社に昇格。明治四十四年神饌幣帛料供進指定。
尚式内社意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
古来志那浜は湖西湖東地方との交通の要港で、この為湖上の往復頻数は風神の崇敬を益々盛んとした。今に斎行の風神踊は風招と呼ぶ大団扇を持って三奏の神歌とともに天を仰いで行う神事で、その三日前に斎行の「たんもり」(祭壇盛)も琵琶湖の八尋の沖より砂一艘取寄せて本社三盛、御旅所(神宮寺跡)一盛の造形を行う重儀で、その俤を残している。昭和十三年郷社に昇格。明治四十四年神饌幣帛料供進指定。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造正面唐破風付 間口一間二尺 奥行一間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間
〔その他〕
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間
〔その他〕
境内社(摂社・末社)
猿田彦社 愛宕社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月
24日
〔本務社|草津・栗東支部〕