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長等神社
(ナガラ)
御祭神
建速須佐之男大神 大山咋神
〔配祀神〕市杵島姫神 三尾大神 八幡大神
〔配祀神〕市杵島姫神 三尾大神 八幡大神
御神紋
桜花 左三ツ巴
御由緒
天智天皇御世、都の鎮護として長等山岩倉の霊地に須佐之御男大神を崇祀する。天智天皇八年五月五日、宇治の山科より還行の時弓と矢を奉納された。皇子大友与多王、五月五日を祭礼日と定め給ひ、今にこの日を例祭日としている。清和天皇貞観二年、園城寺の開祖智証大師が日吉大神を勧請合祀され、園城寺の守護神とした。清和天皇の時初めて官幣を受け、社殿修復等本宮日吉大社に準じて上奏を経る事とせられた。後冷泉天皇の天喜二年に明尊大僧正が山上の社を現在の山麓の勧請し新宮社と称し、その所を神出と名ずけられた。白河天皇永保元年、官符を下して大津の住人をして日吉祭を新宮社で勤行せしめ、寺門の衆徒もこの祭に加勢した。爾来、当社は日吉本宮と対比し十二の廻廊もあり湖南の大社として隆盛を極めたが、山門・寺門の衆徒の闘争により、当社も度々の兵火に罹る。鎌倉幕府が宇津宮蓮生に命じて、本殿・拝殿・楼門等を再興したが再び灰燼となる。
後村上天皇興国元年、足利尊氏社殿を再興し、霊元天皇寛文十一年社殿を大修理す。爾後、永保天明寛政の年代に亘って社殿を修理する。東山天皇元禄四年極月、聖護院宮道尊法親王、山王御神体一体御寄進あり。本殿の建造物に関しては棟札四枚が保存され、その最古の棟札は明応四年次で文化九年天保七年がある。本殿内に六個の釣燈籠が下げられているが、その一つに次の銘がある。万治元年辛丑年奉掛御宝物日本第一大霊権現南無新宮。尚当社に木像薬師如来座像と木像如竟輪観音坐像がある。この二体の像の底にそれぞれ、山王大明神本地佛、山王新宮本地佛の銘記がある。現在の薬師如来像は、鎌倉末期、如意輪観音像は室町初期の作と鑑定されている。
明治九年村社、明治十五年長等神社と復称す。明治十六年郷社。明治三十四年一月県社。昭和五十七年四月、長等神社創立千三百年式年記念大祭を斎行す。「長等のあゆみ」刊行す。
後村上天皇興国元年、足利尊氏社殿を再興し、霊元天皇寛文十一年社殿を大修理す。爾後、永保天明寛政の年代に亘って社殿を修理する。東山天皇元禄四年極月、聖護院宮道尊法親王、山王御神体一体御寄進あり。本殿の建造物に関しては棟札四枚が保存され、その最古の棟札は明応四年次で文化九年天保七年がある。本殿内に六個の釣燈籠が下げられているが、その一つに次の銘がある。万治元年辛丑年奉掛御宝物日本第一大霊権現南無新宮。尚当社に木像薬師如来座像と木像如竟輪観音坐像がある。この二体の像の底にそれぞれ、山王大明神本地佛、山王新宮本地佛の銘記がある。現在の薬師如来像は、鎌倉末期、如意輪観音像は室町初期の作と鑑定されている。
明治九年村社、明治十五年長等神社と復称す。明治十六年郷社。明治三十四年一月県社。昭和五十七年四月、長等神社創立千三百年式年記念大祭を斎行す。「長等のあゆみ」刊行す。
本殿・境内建物
〔本殿〕入母屋造向拝付 間口五間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行三間
〔その他〕倭門(市文) 中門 神饌所 神輿庫 神具庫 手水舎 北照殿
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行三間
〔その他〕倭門(市文) 中門 神饌所 神輿庫 神具庫 手水舎 北照殿
境内社(摂社・末社)
稲荷神社 馬神神社 両御前神社 笠森社
史跡・名勝
馬神神社(長等神社境内) ・大津東町に鎮座され、馬の守護神として、徃古から崇敬され、明治34年長等神社境内地に鎮座(現札の辻) ・古くより旅人、諸人は道中の馬の無事、安全を祈願し、最近においては競馬、乗馬関係者、馬の愛好者、馬年生まれの方の参詣が増えている。 ・「馬魔(ぎば)」〔妖怪〕除けの神社としての出版物あり-「日本妖怪紀行」(新潮文庫)、「水木しげる妖怪道中五十三次」(やまのん)
社宝・文化財
長等神社楼門(大津市指定文化財-昭和47年7月1日指定) ・技師安藤時蔵技術員青池安太郎の設計のもと明治37年5月に起工され、同38年2月に竣工された。 ・三門一戸、屋根入母屋造、檜皮葺の構造 ・比較的小型ながら上・下の均等が美しく左・右の広がりも適度に、また、各部の曲線も美しくとられ、室町時代頃の様式にのっとった秀作で、明治時代の楼門の代表作ですぐれた姿をしています。
主な祭礼
6月30日夏越の祓い、茅の輪くぐり、人形焚上 11月中旬七五三祭 11月23日新嘗祭、大麻頒布式 12月31日師走の大祓 1月1日歳旦祭 1月14、16日網打祭 1月15日古神札焚上式 2月上旬節分厄除祭、人形焚上 2月中旬祈年祭
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
5日
例祭
1月 14日 綱打ち神事
長等神社所蔵の「古式綱打神事之画」の箱蓋裏書に「延長六年(928)正月十二日、志賀の土人、社前に巨蛇の形を造り、神事を行ふ」とある。 この神事は小正月を迎えるにあたり藁蛇を造り、これに託して氏子の町々から邪悪の霊を除き、一年の生活の平安と豊穣を祈るものである。三十束を用い、頭を神前に向けて祭りを執り行う。
10月 17日 馬神まつり
縁起によると寛永期(1624〜43)に疫病が流行し、多くの牛馬が病死したため、吉田神社から当地に神を勧請し、疫病退散の祈祷をした事に始まるという。 馬の安全を祈願し、馬小屋の護符や「大津東町馬神」と染め抜いた馬の腹掛は有名である。現在の棟札には多くの寄進者が記されている。
〔本務社|大津支部〕