郵便番号 | 〒 5203324 |
鎮座地 | 滋賀県甲賀市甲南町森尻310 |
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矢川神社
(ヤガワ)
御祭神
大己貴命
〔配祀神〕矢川枝姫命
〔配祀神〕矢川枝姫命
御神紋
三ツ巴
御由緒
天平宝字六年杣川中流の矢川津の地に鎮座すると伝え、延喜式神名帳所載、甲賀八座の神社として知られる。もと杣川流域は二十二ヶ村開拓の祖神と仰がれ、杣一ノ宮と称された。中世を通じて甲賀五十三家を中核とする連合自治組織いわゆる甲賀郡中惣の参会がしばしば当社にて催された記録にみえている。
また、当社は古来請雨の霊験をもって内外に知られ、室町時代中期の文明四年大和国布留郷五十ヶ村より請雨の返礼として楼門一棟の寄進を受けた。現存の楼門(県文)これである。
天正年間、水口岡山城築城に際し当社別当矢川寺の坊舎が壊されるなど社頭が一時荒廃したが、慶長七年の検地帳に境内四町八反余とあり、慶安五年に拝殿、宝暦六年に本殿を再建し、正徳二年以来、水口藩の崇敬社に定められるなど江戸時代を通じ復興がはかられた。矢川の森から響く鐘の音は「水口八景」の一つ。矢川の遠鐘として親しまれたが、天保十三年十月四日未明、この鐘を合図に数千の農民が当社に結集、幕府の検地反対の一揆を起こし十万日の日延べをかち取った天保一揆(甲賀騒動)は上甲賀の農民と当社との深い関係を物語るものである。昭和五十三年秋、拝殿を再建、同五十七年県俳文学研究会の手で「甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋 蕪村」の句碑が建立された。
また、当社は古来請雨の霊験をもって内外に知られ、室町時代中期の文明四年大和国布留郷五十ヶ村より請雨の返礼として楼門一棟の寄進を受けた。現存の楼門(県文)これである。
天正年間、水口岡山城築城に際し当社別当矢川寺の坊舎が壊されるなど社頭が一時荒廃したが、慶長七年の検地帳に境内四町八反余とあり、慶安五年に拝殿、宝暦六年に本殿を再建し、正徳二年以来、水口藩の崇敬社に定められるなど江戸時代を通じ復興がはかられた。矢川の森から響く鐘の音は「水口八景」の一つ。矢川の遠鐘として親しまれたが、天保十三年十月四日未明、この鐘を合図に数千の農民が当社に結集、幕府の検地反対の一揆を起こし十万日の日延べをかち取った天保一揆(甲賀騒動)は上甲賀の農民と当社との深い関係を物語るものである。昭和五十三年秋、拝殿を再建、同五十七年県俳文学研究会の手で「甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋 蕪村」の句碑が建立された。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間 正面唐破風付
〔その他〕
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間 正面唐破風付
〔その他〕
境内社(摂社・末社)
池ヶ原神社 (境外) 八坂神社 屋船神社
主な祭礼
古式披露酒祭(四月二十六日)
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
1日
矢川祭り
深川祭りともいう。神前での神事のあとは、神輿を中心に氏子各村から奉じる榊を子供が持ち、稚児も加わつて深川市場の天満神社境内の御旅所まで渡御が行われる。近年、深川市場・深川・耕心の子供神輿も境内に練り込むようになった。
〔本務社|甲賀支部〕