神社紹介
郵便番号 〒 5200818
鎮座地 滋賀県大津市西の庄15-16
トップ > 滋賀県の神社 > 神社紹介
石坐神社 (イワイ)
御祭神
天命開別尊 (天智天皇) 弘文天皇 伊賀采女宅子媛命 豊玉比古 彦坐王命 海津見神
御神紋
左三ツ巴
御由緒
創祀年代不詳であるが、社伝、社家古伝によると、当社の創始は、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその四代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのに始まると考えられる。彦坐王の御事蹟は明白ではないが、治田連とその一族は、湖南地域一帯の水利治水、農・漁業の開発・発展に大きな成果をあげたため、これを尊崇した地域住民がその一族の祖・彦坐王を開発の先達として崇拝するに至ったものと考えられる。
下って天智天皇の八年に旱魃があり、その時毎夜湖水から御霊殿山に竜燈が飛んでいった。里人の奏聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童の形に変じ、「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう」との御託宣があった。天皇は叡感ななめならず、勅して御霊殿山上に海津見神を斎祀した。毎年九月九日に祭典を行い、旱天の時は炬火を点じて登山し雨乞いをしたが、いつも霊験があったという。前述の幸魂は、彦坐王の霊ともいわれる。
壬申乱後、天下の形勢は一変し、近江朝の神霊の「天智帝・大友皇子・皇子の母宅子媛」を弔祭できるのは一乗院滋賀寺のみとされ、他で祭祀するのは禁じられていた。そこで持統天皇の朱鳥元年に滋賀寺の僧・尊良法師が王林に神殿を建てて御霊殿山の霊祠を遷すと共に相殿を造って近江朝の三神霊をひそかに奉斎した。この時から八大龍王宮と称え、石坐神社とも称した。
光仁天皇の宝亀四年、石坐神社に正一位勲一等を授けられ、「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜っている。ここにはじめて、近江朝の三神霊が公に石坐神社の御祭神として認められたのである。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行二間三尺(県文)
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺
〔その他〕参集殿 手水舎 社務所
境内社(摂社・末社)
稲荷神社
主な祭礼

祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月 3日
〔兼務社|大津支部〕
Copyright(C)滋賀県神社庁. All rights reserved.