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馬見岡綿向神社
(ウマミオカワタムキ)
御祭神
天穂日命 天夷鳥命 武三熊大人命
御神紋
雲に二羽雁
御由緒
社伝に神武天皇の時、彦健忍雄心命が出雲国より天穂日命に供奉し来り綿向山に鎮祀した。欽明天皇6年、蒲生稲置三磨山部連羽咋に託宣ありて創めて祠を造営す。天武天皇12年、篠谷川厩上の地に奉遷す。此地に天夷鳥命の祠がありて合せて祀る。更に延暦15年現在の地に遷座する。延喜式神明帳に祀する馬見岡神社の論社である。其後、後白河天皇勅願の事あり、又高倉天皇は安元2年勅額を奉納され、治承2年中宮建礼門院御安産の祈願等社伝に記されている。文治元年、後鳥羽天皇勅願あり。神主出雲宿禰の家は上古より連綿と奉仕し新撰姓氏録左京神別に出雲宿禰天穂日命子天夷鳥命之後也と見え出雲家が古くから奉仕していた。遠孫出雲貞尚の時北朝の戦禍あり建武5年五辻宮守良親王足利氏に抗す、貞尚は志を親王に通ず。康正3年蒲生貞秀は神田畠三箇所を免税とし毎年神共を献じている。弘治3年蒲生定秀は祭礼を再興し、蒲生氏の一族及び家臣郎党領内120人郷の郷土を集め再興した。天亀2年蒲生賢秀の協力を得て社殿を造営す、天正12年羽柴秀吉剣一口を奉納す。同15年社殿を修造する。蒲生氏郷の援助を得る。慶長8年徳川家康より社領十石を寄附す。以来社領十石の寄進を受ける。将軍家光のとき朱印状を受け代々の将軍より社領安堵の朱印状を受けた。寛文3年神主重信の時に神仏分離を行い社僧を廃す。宝永5年徳川綱重の代官竹田喜左衛門政為は社殿を修造する。享保18年宝鐘寺宮理豊尼公御不例に際し当社に祈願あり、後菊花紋章の提燈を寄附される。享和3年氏人中井良祐光武拝殿を造営す、是より先天明4年光武の子尚武舞殿を寄附す。文化6年更に絵馬殿を造営す。現在の本殿は宝永4年蒲生家の家臣勝長半兵衛なる者が、宮奉行となり氏子中の寄進により建立されたものである。明治9年郷社に列し、19年内務省より保存資金百円を下賜、同26年有栖川宮熾仁親王神号の額を揮毫、同40年県社に列す。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社入母屋造千鳥破風唐破風付 間口三間五尺 奥行三間三尺
〔拝殿〕入母屋造軒唐破風付 間口三間五尺 奥行三間五尺
〔拝殿〕入母屋造軒唐破風付 間口三間五尺 奥行三間五尺
境内社(摂社・末社)
村井御前社 八幡宮 榊御前社 稲置三磨神社 玉椿神社 寵之神社 北野神社 稲荷神社 池ノ神社 富士浅間神社 金比羅神社 神明社 蛭子神社 大将軍社 野神社 (境外)笠懸神社 大嵩神社 佐久奈度神社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
3日
日野祭り
嘉応(1169〜70)年間の頃より始まったと伝える。神調社と呼ばれる神子を中心とした田楽座が神社へ神を迎えに行き、3基の神輿、16基の曳山、そして神幣などで雲雀野と言われる御旅所へ御幸する祭りである。日野商人の財力によって絢爛豪華なものとなつて現在に至っている。
1月 25日 御田植え祭
雌雄の松の小枝各50本づつを早苗に、拝殿を水田に見立てて、その年の吉方から雄松を右回り、雌松を左回りに植える神事。この松の小枝を一対、田の水口に立てておくと、その年は水に困ることなく豊作になると伝えられている。
〔本務社|蒲生支部〕
