郵便番号 | 〒 5200836 |
鎮座地 | 滋賀県大津市杉浦町20-20 |
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若宮八幡神社
(ワカミヤハチマン)
御祭神
仁徳天皇
〔配祀神〕應神天皇 武内宿弥
〔配祀神〕應神天皇 武内宿弥
御神紋
五三の桐 左三ツ巴
御由緒
社伝によると、白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の御神託により、この粟津に行幸になったところ、紫の雲がたち、金色の鳩が飛来して、粟津の森の大木に止った。
その処に当社の造営を勅諚され、仁徳天皇の御木像を御下賜になった。
次いでこの浦(湖辺)上下八町の間、殺生を禁じられた。漁夫等は、これを恐れて特別の浦、別浦と云い、後に別保と呼び、現在も地名として残っている。
翌年、当社に於て「放生会」が行なわれ以来毎年斎行されている。当社の竣工は、勅諚から四年後の白鳳八年で、九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初は粟津の森八幡宮、後に若宮八幡宮、更に後に、若宮八幡神社となった。
当社は、延喜十七年、落雷のため全焼、更に寿永三年、木曽義仲の粟津の合戦で全焼したが、建仁二年、源頼朝が上洛の時、当社を再興し、翌年社殿を再建した。
又当社を、歴代の膳所城主が崇敬し、社領寄進の記録がある。
千三百年の間、毎年行なわれて来た、放生会祭には、近年では、琵琶湖に蜆流しと、人形流しの厄除祭を斎行している。
当社には、現在も宮座が残っており、毎年元旦、例祭、放生会祭、の当日四季の花をさしそえた、御供を、本殿をはじめ、境内の皇大神宮他摂社、末社にお供えしている。
明治十四年村社に、昭和五年郷社に加列。
その処に当社の造営を勅諚され、仁徳天皇の御木像を御下賜になった。
次いでこの浦(湖辺)上下八町の間、殺生を禁じられた。漁夫等は、これを恐れて特別の浦、別浦と云い、後に別保と呼び、現在も地名として残っている。
翌年、当社に於て「放生会」が行なわれ以来毎年斎行されている。当社の竣工は、勅諚から四年後の白鳳八年で、九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初は粟津の森八幡宮、後に若宮八幡宮、更に後に、若宮八幡神社となった。
当社は、延喜十七年、落雷のため全焼、更に寿永三年、木曽義仲の粟津の合戦で全焼したが、建仁二年、源頼朝が上洛の時、当社を再興し、翌年社殿を再建した。
又当社を、歴代の膳所城主が崇敬し、社領寄進の記録がある。
千三百年の間、毎年行なわれて来た、放生会祭には、近年では、琵琶湖に蜆流しと、人形流しの厄除祭を斎行している。
当社には、現在も宮座が残っており、毎年元旦、例祭、放生会祭、の当日四季の花をさしそえた、御供を、本殿をはじめ、境内の皇大神宮他摂社、末社にお供えしている。
明治十四年村社に、昭和五年郷社に加列。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造唐破風付 間口四間 奥行四間
〔その他〕中門(2) 神門(市文) 神輿庫(2) 神饌所 手水舎 社務所
〔拝殿〕入母屋造唐破風付 間口四間 奥行四間
〔その他〕中門(2) 神門(市文) 神輿庫(2) 神饌所 手水舎 社務所
境内社(摂社・末社)
皇太神宮 金比羅社 新羅社 天満宮社 多賀社 白山社 稲荷社 (境外) 八坂神社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
3日
〔本務社|大津支部〕