トップ > 滋賀県の神社 > 神社紹介
毛知比神社
(モチヒ)
御祭神
日本武尊
〔配祀神〕保食命
〔配祀神〕保食命
御神紋
揚羽蝶
御由緒
社伝によると、奈良朝の天平宝字元年瀬田建部大社の別宮として田上杣之庄里村に創めて造営され、同二年御遷座された。以来地方の崇敬篤く盛んな頃は、田上郷一円を初め青地・大石・田原の郷庄五十四箇村により神事が行なわれた。藤原時代の歌人源俊頼は其子俊重と此のもちゐの宮に参詣し共に歌を詠んだ事はその著書散水集に出てあり、また吉野朝の永徳三年在銘の神鏡によりその頃の信仰は相像せられる。天正十八年の大火により社殿悉く鳥有に帰した。その後追々復興せられ、また膳所藩主より一町四方の除地、神田三反歩の寄進を受け明治維新に及んだ。現在の社殿は延宝四年の再建である。明治九年村社に列せられ、明治四十一年神饌幣帛料供進指定。次で昭和十五年に郷社に昇格された。
神社の名称については、もちゐの宮(平安末)茂智津大明神(天正十八年)餠津大明神(延宝四年)毛知比宮(寛永)毛知比大明神(慶安より安政年間)茂智頭大明神(安政二年)の記録があり、もちの宮は保食神の宮の転訛したものらしい。
神社の名称については、もちゐの宮(平安末)茂智津大明神(天正十八年)餠津大明神(延宝四年)毛知比宮(寛永)毛知比大明神(慶安より安政年間)茂智頭大明神(安政二年)の記録があり、もちの宮は保食神の宮の転訛したものらしい。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口一間七寸 奥行一間五寸
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺
〔その他〕中門兼祝詞舎 神饌所 神輿庫 祭器庫 手水舎 社務所
〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺
〔その他〕中門兼祝詞舎 神饌所 神輿庫 祭器庫 手水舎 社務所
境内社(摂社・末社)
神田神社 大君神社 琴平神社 愛宕神社 水神社 大神宮
主な祭礼
湯立祭 千燈祭 五百燈祭 百燈祭 厄除祭 左義長 早穀祭(十月) 草木祭(一月)
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月
5日
1月 9日 草木祭
「だいひよう」ともいう。天平宝字元年(757)に鎮座した時、村人が餅を供えて以来、連綿として続いているという。 延餅(30センチ・15センチ)2枚を1組として、その家の男子の数を供え、家内安全・五穀豊穣を祈願する祭りである。毎年1月9日、役員はじめ氏子が出席し、祭儀を執り行う。
〔兼務社|大津支部〕