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伊香具神社
(イカグ)
御祭神
伊香津臣命
御神紋
上藤
御由緒
古来伊香神と称し(興福寺官務牌疏)延喜式内名神大社に列る当郡開祭の租神である。上世此地に湖水あり田里未だ開けざる時、伊香津臣命が此地に来られて「吾此処に止りて永く末代を守るべし」(近江国与地志略)と子孫に告げてこの地を拓かれた。後伊香宿禰豊厚が社殿を創立して租神を祀ったのは人皇40代天武天皇白鳳10年以前の事というがそれ以前この土地には迦久土神を祭った小社があったのではないかと考えられる。それは今の本社地を西へ二百米ばかりの所に、迦久土神を祭った「意太」おふと神社と呼び小社があり式内の小社で、今は本社の摂社になっているが、その「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものと考えられ本社の一名を大音明神と称することも、これに由来するものであろうと思われるからである。尚本社の背後の山の字名を、香具山と呼んでいることもその一証であろう。所でその後国史に見えるのは、3代実録巻2に「貞観元年正月27日甲申奉授近江国従五位勲八等伊香神従四位以下」同じく巻12に「貞観8年閏3月7日壬子近江国従四位下勲八等伊香神授従四位下」とある。この2箇所だけであるが、社伝では「寛平7年菅原道真法華経金明経を手写して之を納め、又奉して勅額を賜う。其文に正一位勳一等大社大明神と云う」とある。然し今も残るものがないのは残念である。後足利尊氏は次のような朱印状を寄せて祈祷を依頼し、此にもとづく祈祷は今も正月5日9月の18日に執り行われている。 足利尊氏朱印状写 毎年正59月能々可御祈祷事 一、弐百石御地蔵木之本の内 一、弐百石大音名神三郷之内 右如前ニ知行尤ニ候猶以山内太郎左衛門尉可申候如件 建武3年11月15日 尊氏判 木之本上人殿 大音神主殿 井伊氏の代になってからも按部の際は、必ず参拝して行ったと言う。明治8年郷社に列し、明治32年県社に昇格した。此地に特記すべきは、明治14年郡内の有志が願い出て境内に維新以後国離に殉じた人の英霊並に郡神職を祀った伊香招魂社を立て、以後毎年春秋の祭例を斎行し、特に昭和43年からは春の大祭に郡内に全遺族を招待して、挙行していることである。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。尚社殿や宝物は賤ヶ岳の兵火にかかって焼失し、現在の本殿、拝殿は、正徳年中の再建であるが、社務所は明治7年教部省の大教宣布の時、此の地方の小教院として建てられたものである。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口一間四尺 奥行一間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行二間二尺
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行二間二尺
境内社(摂社・末社)
奥之宮 三之宮 白山神社 境外社 意太神社
主な祭礼
おこない 2月28日
神事(おこない) 燈明祭
神事(おこない) 燈明祭
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月
6日
2月 24日 おこない
23日夕刻に宵宮祭。24日午前10時に当家から出神、神社へ献塔。頭人・古頭人は裃を着け神前へ参る。午後、次年の頭人を決める玉籤を神前にて神主が引いて決まると、同一夕刻に大鏡を神前より新頭人宅へ送り、塔渡しの式典が執り行われる。
〔本務社|伊香支部〕