郵便番号 | 〒 5260053 |
鎮座地 | 滋賀県長浜市宮前町13-55 |
TEL | 0749-62-0481 |
HP | http://www.biwa.ne.jp/~hatimang/ |
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長濱八幡宮
(ナガハマハチマンク)
御祭神
誉田別尊(応神天皇) 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神宮皇后)
御神紋
右三ツ巴
御由緒
社蔵文書によれば当宮は延久元年源義家が後三条天皇の勅願を奉じて、京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したとあり、往昔は、坂田八幡宮あるいは坂田別宮八幡宮。また、勝軍山新放生寺八幡宮とも称したことがある。当宮が鎮座されて以後、この地を八幡の庄と呼び、当宮は庄内十一郷の産土神として崇敬され、また、皇室や武将の尊崇は更に厚く、特に後奈良天皇は天文五年、天下乱麻の世を歎かれ、天下泰平の祈願のため、綸旨を下されている。足利六代将軍義教は社殿を修補し、三層塔の建立や、太刀、神馬などを奉納。湖北の浅井氏も社領、太刀、神馬などを寄進している。当時は社頭三千石、一山七十三坊があり、社殿、堂塔伽藍は壮観を極め、本宮の石清水八幡宮を凌ぐものがあったと伝えられている。毎年八月十五日の放生会には、坂田、東浅井郡二郷の大名郷士が出仕して神輿の供奉をつとめ、御旅所に神幸した後、仏殿に入り放生会を修行するならわしであった。元亀・天正の頃に、兵火により社殿、堂宇が焼失し、諸行事も衰微したが、天正二年羽柴秀吉が長浜城主となり、この大社の荒廃を惜しんで、社地東西二町南北一町を免除地とし、社領七十石を寄進。社殿の造営再建につとめた。以後、徐々に壮観を復し、妙覚院、舎那院をはじめ二十余坊が神社の周囲に再建されている。明治維新の大改革により、仏像など仏門に属する汁宝は舎那院に移し、当社は神職だけによる奉仕となった。明治十八年雷火により本殿を焼失したが、明治二十二年再建されている。明治二十八年県社に加列する。
本殿・境内建物
〔本殿〕神明造 間口三間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間四尺 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間四尺 奥行三間
境内社(摂社・末社)
高良神社 天満宮 都久夫須麻神社 金刀比羅宮 川濯神社
史跡・名勝
放生池(長浜市指定文化財)
社宝・文化財
長浜城歴史博物館寄託131点 京都国立博物館(木造狂言面)1面 県立琵琶湖文化館(能衣装2領 倭点附刻法華経8巻) 栗東歴史博物館(男山図)1鋪
主な祭礼
一月十五日おこない 四月十三日〜十五日長浜曳山まつり(国指定)
3月20日祈年祭 春季大祭4月15日 新嘗祭11月20日
3月20日祈年祭 春季大祭4月15日 新嘗祭11月20日
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月
15日
長浜曳山祭り
天正年間、長浜城主羽柴秀吉は男子誕生を喜び城下町人に砂金を配った。敬神厚き町民がこれをもとに12基の曳山を建造したことに始まるという。特に山車上で行われる子供歌舞伎(曳山狂言)は有名である。また見返しのゴブラン織りもすばらしいが、そのほかに裸参り・長刀渡り・尻まくりなどの神事が行われる。
10月 15日 例祭
〔本務社|長浜支部〕